聖書の「求めよ」は、ただ「欲しい欲しい」と思うことではない

今朝の御言葉は先生の映像説教でした。

様々な話題がありました。

・神様からもらうばかりでなく何かして差し上げなくてはならないこと
・上に登っていくのは良いけど、その人を超えて登っていくのは失礼であること
・求めることについて

メインは「求めることについて」でしたね。

先生の故郷を例に出しながら、過去にはハゲ山で何もなく人も全く来なかった場所を、“求めて”人々が大勢あつまる場所に作りました。

御言葉を聞くと、“求める”という言葉の意味が、「ただ“欲しい”と思うことではない」ということがわかりますね。

先生はとてつもない実践をされています。

それを、先生は「求めたからもらった」と表現しているところが印象的でした。

あと印象に残ったのは、御言葉の中で「月明洞の価値をもっと知らなければならない」とおっしゃっていたところです。

この言葉は弟子たちに向けて言われたことであるかと思いきや、このときの先生って、月明洞に様々な形象があることをご存じないんですよね。

先生ご自身に言ってる話なのかな。少し面白かったです。

続いて伝えられた箴言では、考えと肉体のバランスについてでした。

昨日は「刺激があってこそ脳が機能する」と仰いましたが、いくら考えが良くても、肉体が弱かったり具合が悪いと実践できないのだと仰いました。

私も具合が悪いとすぐに考えが変わってしまうところがあるので、気をつけたいと思います。

脳は神経の塊だから動かすには刺激が必要。ただし刺激に中毒になってはいけない

今日の御言葉は、「脳を起こすこと」についてでした。

脳を起こすには二段階あって、まず「眠りから起こすこと」、次に「悟る段階に起こすこと」でした。

目的をなすためには、眠りから覚めるだけではダメで、脳を聡明な状態にする必要があると仰いましたね。

◆みんな目的としたことをするためには、まず<脳神経>を刺激して、<考え>を生き生きとするように起こさなければなりません。
冷たい水で洗うか、それにふさわしいものを見て聞いて<脳神経>が起きるようにし、<脳神経>が起きて<考え>が生き生きしたら、その時に「願っていること」をやればいいです。

これ、ほんとうにそうだなあと思いました。

私の次元でわかることは少ないですが、「文章を書くには頭がクリアでないといけない」というのはいつも感じます。

ぼんやりしていると何も浮かんでこず、手が動きません。無理やり書こうとすると、波長の悪い文章になってしまいます。

最近毎日ブログを更新できるようになりましたが、それは脳をクリアな状態にもっていく方法が少しだけわかったからです。

ただ、先生がいらっしゃる、蒸し風呂のような暑い部屋の中でも脳を聡明にさせるのは、私にはまだまだ無理ですね。

32度の部屋の中にずっといたら、そのことばかり考えてしまって何も手につかないと思います。

先生は、今のような環境でも、またたとえ戦時中でも、神様のことを最優先にするほど愛が強い方です。少しでもそこに近づけるようにしたいですね。

御言葉では、脳を聡明な状態にするには刺激が必要だと仰いました。

脳は神経の塊だから、刺激してこそ本来の機能を発揮します。

ただし、その話の後で「刺激に中毒になるな」という話をされました。

バランスの話です。刺激は必要だけれども、それに溺れてはいけないんですね。

たとえとして、塩や砂糖の話が出ていました。

◆<塩からい食べ物>が好きなら、どんどん塩からくして食べて、あとでは塩をすくって食べてはじめて、しょっぱい味を感じるようになります。
そうしたら塩からい味に中毒になったのです。結局健康も崩れます。

これヤバいやつや。

塩は体に必要不可欠な存在ですが、摂りすぎると様々な弊害を及ぼします。

私は昔、こってりしたものや辛いものをそれほど好んで食べてなかったのですが、兄弟とともに『天下一品』とか『激辛タイ料理』とか食べてたらいつの間にか慣れてしまった。ヤバい。悪癖病を治さないといけないですね。

私たちはよく、「刺激最優先」になって安易な方向に流れて行きダメになっていますが、そうではなくて、優先すべきは「いつも愛のある生活」なんですね。

◆<塩>もいい塩梅(あんばい)にして使って食べ物を作ってこそ、塩からい味に中毒になりません。
<信仰>もそうです。平素信仰、平素対話、生活信仰、生活愛です。

「塩梅」って言葉は、文字通り「梅干しを作るときに入れる塩の量」のことです。

生活愛を成して、正常な刺激で、脳を聡明な状態にしておきたいですね。

私たちは問題であり、神様は答え

今朝の御言葉では、私たちは「問題」であり、神様は「答え」なのだと仰いました。

私たちはさまざまな問題を抱えています。

それは今も昔も同じです。

人はいつでも問題を抱えていて、その解決のためにさまざまな努力をしてきました。

聖書では、人はもともとはエデンという楽園に住んでいたのが、サタンが騙されて人間に入り込んだ時からいろんな「問題」を感じるようになったといわれています。

そこから、神様の回復の歴史が始まりました。御言葉は人間の悩みを解決する「答え」です。

この御言葉は、自分の問題を解決するためのものでもあり、全ての人の問題に対する回答でもあります。

だから、話の内容によっては、自分に該当する問題の答えだと思えることもあるし、なかなか理解できないとかもあります。

それは、他のとても悩んで困っている人に向けて話されている内容だったりするからでもあります。

問題を解決するための答えが凝縮されているのが御言葉なんです。

昨日は「神様は私たちの都合では動くのではなく、もっと大きな視点で物事を見て動かれる」という御言葉を聞きましたが、そのように、大きな視点を持てば、きっと神様が何を見てそうおっしゃっているのか、わかるようになるのだと思います。

うおー!月明洞で修練会はじまるー!

自分の都合ではなく神様の都合に合わせるべき理由

今朝の御言葉では、自分の時に合わせないで神様の時に合わせなさいと仰いました。

神様はより大きなことを見て動いているから、小さな私たちのために都合を合わせたりしないんですね。

例えとして、戦争の話が出ていました。

敵が向こうから攻めてくるのに、恋人が「一緒にいよう」と言っていられるか、という話でした。

これも子どもをお持ちの親御さんはよく理解できる話ですね。

子どもが「遊ぼう」と言うからといって、いつも合わせられるわけではありません。

これは、親が子どもを愛していないからではありません。

むしろ愛しているから、もっと大きな視点で見ているから、そのようにします。

だから、私たちも神様の大きな視点を持って、天の時を見ましょう、という話でした。

最近は日が長いです。朝の4時半くらいに日が昇って、夜の6時半くらいに日が沈みます。

これが、誰かの都合で変わるわけではありません。

今日は私、寝坊したんで、もう少し日が昇るのを遅くして欲しかったんですけど、そういうわけにはいきません。

いくら私が偉い人なんだとしても、神様が日の出の時間を変えてくださることはしません。

もし変わったとしたら、リズムがズレることでものすごくたくさんの人が体調不良を訴えることになるだろうと思います。

そればかりか、生態系にも影響が出るかもしれませんね。

万物から得られる聖霊様の知恵

今朝の御言葉は、様々な万物の例をあげながら聖霊様の知恵について話してくださいました。

部屋でお祈りしていた時、ふと目を開けたら虫を見つけた。

そのことを通して、「サタンは霊の目を開いてこそ見える、サタンは隙を伺って入ってくるから気をつけなさい」と仰いました。

昨日の水曜礼拝でも、先生が万物について「穴が空くほど見なければならない」と仰いました。

先生が月明洞で火のように御言葉を伝えている姿に力を受けましたね。

先生は、雨の話とかキノコの話をされました。

先生は「キノコは美しい」っていいましたが、本当にきれいなのか、私は疑問に思いました。

しかし、広い世界には美しいキノコも存在するんですよね。


こんなキノコもあるんですね。

あるゲームでは、キノコを取ると体が大きく成長しますが、そんな使われ方もされているように、栄養もたくさん含まれている食材です。

あと、私ごとですが、昨日すごく久しぶりにカブトムシを見かけたんです。

いつも昼休みは外で文章を書いているのですが、目の前の草むらでゴソゴソしてるのがあると思ったらこいつでした。

カブトムシって夜行性なのに、なぜ昼間に目の前に現れたのか。

これはしるしだ。

きっとしるし。

何かのね。

まあ、カブトムシ見つけた嬉しさに、なんのしるしなのかまでは、あまり考えてなかったんだけどもね。

あ、カブトムシは昆虫の王様として有名ですね。

すごく力が強いです。


日曜日には、先生が黒いキリギリスを通して重々しさを発見されましたが、私はキリギリスでは重々しさなんて気付かないから、わかりやすくカブトムシで見せてくださったのかもしれません。

周りと比較するのではなく、それぞれに金メダルが用意されているのが神様の公義

今朝の御言葉では神様の公義について話してくださいました。

神様の公義は、誰かと比較して順序をつけることではないと仰いました。

一人一人、スタートも違うしゴールも違うから、個性に応じて心と思いを尽くし、その結果としてそれぞれの賞を受けるのが公義だといいます。

たとえとして、スポーツが出ていました。ある人は走りで、ある人は水泳で、ある人はサッカーでそれぞれメダルを取ります。

もうすぐ世界陸上ですね。ウサインボルト最後のレースです。

また、甲子園ももうすぐ始まります。地方大会で早実の清宮が高校最多のホームランを目指していましたが、惜しくも実現しませんでした。でも、崩れてもまた立ち上がる精神でもっと良いものを目指して欲しいですね。

そのように、個性の金メダルは各個人に用意されていて、一人一人が周りと比較するのではなく、自分と戦うことが求められています。

神様の世界には数千数万の働きがあるといいます。

自分に用意された祝福を目指して、やるべきことを主と共に見つけ、行いたいですね。

愛の次元で分かれる

先生のためのお祈りの条件が始まりました。

先生は最近「暑い」とか「手が動かない」ということを全く仰らなくなりました。だからと言って苦痛が和らいだわけではありません。私たちは外に出ると「暑すぎて死にそう」とすぐに思い、先生が受けられている十字架については考えないことがありますが、そういう体験をした時こそ主のことを考えて、正しくその気持ちをわかって条件を立てたいですね。

今日の御言葉では、神様は、それぞれの人を「愛の次元で」分けるのだと話してくださいました。

学校では頭の良さで人が振り分けられ、職場では能力や在籍年数で給料が決まりますが、神様は公義な方なので、その人の愛によって接し方を変えられます。

いつも「行なった通りに接する神様だ」と仰いますが、その人が神様に接したように、神様も接します。

だから、聖書を読んでその一節に感動を受けて歴史を動かしたリンカーンのような人もいれば、神様について価値なく接して、イエス様に「すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。」(‭‭マタイによる福音書‬ ‭12:39‬)と言われて放って置かれた人もいます。

神様側はとても大きな祝福の器を持っているのだから、それを受ける器を用意して、祝福を探したいですね。

今週は、万物から見つけなさいと仰いました。

先生の心情を知るには祈ること

今朝の御言葉では、先生のために祈る必要性について教えてくださいました。

先生は毎日毎日本当に様々な働きをしながら人を助け、活かし、悩みを解決していますが、それでも悪くいう人がいるし、心情をわからないで自分の好きなことばかり言う人がいて、霊も肉もすり減っているのだと仰いました。

少し大人向けの御言葉でしたね。

私は今でも自分勝手にしてしまうことが多いので先生の心情をわかるにはまだまだほど遠いですが、少し気がつくのは、先生の万物に対する姿勢です。

昨日もキリギリスの話がありました。

キリギリスをとても大事にされて、背中に乗ってきたとか、冬には布団で温めてあげたという話をされましたが、そのようにするのは、とても心情の辛さを感じているからではないかと思います。

そう思うのは、私も経験があるからです。

私は、スズメが好きです。

スズメが好きになったのは、あまりにも人からひどい接し方をされていた時でした。

人間に対して深い考えを持つようになった時に、スズメを見て「万物って完全なんだな」ということを思ったんです。

私がスズメを気に入って接しているので、周りは「あいつどうしたんだ笑」と言いますが、完全な姿を見せる動物を見て癒されてるんです。

御言葉から先生の心情を読み取りたいですね

万物を使って語られる神様

今日の御言葉は、万物を通して話される神様についてでしたね。

今日の聖句は、好きな人も多いこちらです。

「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。」‭‭ローマ人への手紙‬ ‭1:20‬

私は新入生のころ、聖書を読んでもさっぱりわからなかったけど、この聖句はすぐに覚えました。

子どものころから動物とか虫とかわりと好きだったからです。

動物図鑑を持っていて、なんども同じページを読んでました。

地球上には、本当にたくさんの種類の生き物がいますよね。

それぞれにいろんな性質があります。その性質を通して、神様が様々に働かれています。

あなたは何かメッセージを受けましたか?

私は、今日じゃないのですが、この前ヤモリを見ました。

ヤモリは漢字で書くと「家守」です。人の住むところに棲息していて害虫を食べてくれるので、家を守ってくれると言う意味があるようです。

このヤモリ、虫を食糧としているだけあって、かなりすばしっこい動きをするのですが、普段はとても大人しくて、人が近づいてもほとんど動きません。

手で触っても無反応なことが多いです。

触るとプニっとしますよ。しばらくプニプニしてしまいました。

そういうかわいらしさと、やる時はものすごい勢いでやる姿が人気の秘密なのでしょうね。

このヤモリは聖書にも出てきます。

「やもりは手でつかまえられるが、王の宮殿におる。」
‭‭箴言‬ ‭30:28‬

「非常に賢いもの」というくだりの中にヤモリが入っているんですね。

私はこの聖句を、「ヤモリは簡単につかまえられるくらい弱い存在だけど、王の宮殿を住処としているから賢い」と読んでいます。

私も、ヤモリのように安心安全な王の宮殿に住んで、害虫を捕まえて王の助けになるような働きがしたいです。

器を大きくするともっと得られる

今朝の御言葉は、「神様が下さろうとする祝福は大きいから、器を準備しなさい」と仰いました。

今のこの時は「苦労の代価」ではなく、「10倍、100倍受ける『しるしの代価』を受けなければならない」と仰いました。

1時間働いて1000円、8時間働いて8000円もらうのではなく、5タラント(約5億円)を預かって商売をして5タラント稼ぎなさい、ということでしょうか。

そのような大きな代価を受けるためには、器を大きくしないといけないと仰いました。

器を大きくするとはどういうことか。

それは視野を広げることだと言います。

今だけを考えて小さなことに感情的になるのではなく、ずっと将来まで見て動いている先生と同じ広い視野を持ちなさい。

そうしたら「しるし」が起こるのだと仰いましたね。