バッタの話からふと思ったこと

いまふと思ったのは、一月の御言葉でバッタが先生を引っ張った話、小さな助けだとしても大きな力になったんだと言いましたけど、それって昔やむなく70日何も食べられなかった後に塩を舐めただけですごい力が湧いたという話と同じだということです。

つまり先生はあの時と同じような極限の中にいて、我々は塩くらいのわずかな栄養価しかないけれども、それでも大きな力になったんだ、ということです。

バッタのように主に力を与える祈りを

今朝は祈ることについての御言葉でした。

祈りなら、できる!と喜ぶ社会人www

先生に助けられたバッタが先生を引っ張ったように、たとえわずかだとしても先生に力を差し上げたいですね。

バッタって「ダメダメな人」の象徴に使われることが多いです。イソップ童話では遊び過ぎて冬に凍え死にますし、聖書でもバッタがいい例えとして出てくることを私は知りません。出エジプト記では10の災いの一つに出てくるし、黙示録ではアバドンがいなごの大群を率いるものとして登場します。

バッタは自由気ままで、御言葉では勝手に壁とか登ろうとして結局登れないバッタを先生は登れるように助けたり、リンゴの皮をあげて体質改善させたりして、なんもしてないのに長生きして、そんなの働きアリたちに妬まれますよ(笑)

一時も忘れないで対話すべきことを私たちは学んでいますが、特に117を祈る時間として与えられています。

この「時」がけっこうヤバイことに最近気づきまして、それは、他の「やるべきこと」って後からの追い上げやつじつま合わせができるのですが、時が決まっていることについてはあとからどうあがいても挽回できません。

ラスト3秒でスリーポイントが入って逆転勝利、とかないです。もう時が過ぎてるから。

ていうかそれ漫画だし。

行いが言葉になって聞こえる

修了までいかなくても、証したことが残るのだとおっしゃいました。

神様の耳には私たちの行いが聞こえると言います。3.16までもう少しですが、言わなくても、それまで何をしていたのかってけっこう伝わるものだなあと毎回感じます。

それではお聞きください、「神様の耳に聞こえる」

イソップ童話を覆してしまった先生の実践

最近の御言葉ではバッタがよく出てきます。

先生は弟子たちにしばらく会えませんでしたが、そのあいだも何かの生き物を育ててそれを弟子たちだと思って大事にしていました。その生き物が時が経つにつれて変わっていくのが興味深いですね。

最初はアザレアでしたか。花です。今朝の御言葉の映像でも映っていました。

それから鳥とか、コオロギとか、あとはなんでしょう。とにかく生き物を大事にされてて、それが御言葉に出てきます。ただしハエと蚊は容赦なく殺しますね笑スプレー撒き散らしたとか何時間も追いかけ回したとか。

今回出てきたバッタはあまりに大事にされて冬を越してしまいました。

イソップ童話では、働かないキリギリスは冬に野垂れ死にします。そこから「怠けていてはいけないよ」という教訓を得るわけなのですが、先生のしたことはそのお約束を覆してしまいましたね。

寒さで凍えるどころか布団で暖をとるバッタ笑

そこから「主管圏が違うと運命が違うのだ」と、そういう話でした。

バッタみたいに適当に生きている我々が、長生きできて、良かったね。

早く行うことが成功の秘密

早く行うことについて話してくださいましたね。

早く行うことは世の中の成功者の多くも実践していることです。

今週の主日の御言葉では、時間がたくさんあるようだけども実践してみたら少ないのだと仰いました。

とは言っても今日は土曜日だからゆっくり寝たいです、が、このような考えはあまりにも一般的で、これが習慣化するとぐうたらおっさん人生になってしまいます。

まずはダラダラしたい思いが浮かんできますが、その思いを乗り越えていきましょう。

はっきりとわかることが大事

今年は夢を実現させる年ですが、たとえ叶っても意思が弱くては途中で諦めるのだと仰いました。

箴言では、はっきりわかることと部分的にわかることについての話でしたね。

以前には具体的にレモンをイメージすると勝手につばが出てくるという話もありましたが、はっきりとしたイメージが意思に影響する度合いはとても大きいです。

ですから私は、夏に向けて理想的なボディのイメージづくりから始めたいと思います。

繋がっているか離れているかで扱いが違う

髪の毛って、なんで頭についているときは大事なのに落ちてるものは気持ち悪いんでしょうか。

今日の御言葉は、繋がっている時と離れたときは扱いが違うのだという話でした。

髪の毛の話は切実に聞いてしまいますね。気になるのは髪の毛というより頭皮の方ですけども。

自分を通して、体はいくら増え栄えることを願っても限界があるのだということを感じるしかありません。

やれやれだ。

なんでもラインを守ることが美しい

今朝はシェイプアップ御言葉でした。

主を中心にして個性を発揮しながら、でも線を守るというのが難しいですね。

でも、なんでもそういうものです。

お腹の線が数センチ出るだけで美しくないし、ボールがわずかでもラインを割れば相手ボールになるし、1秒でも定時を過ぎれば遅刻になります。

そうした超絶細かいルールの中でどれだけ力を発揮できるかが成功のキモになりますね。