息子の急性骨髄性白血病で、「うちに入ればたちまち治る」と言い出して家まで押しかけて来たのが霊波之光さん、「前世の業だから来世では云々」と殺しにかかって仲間内の座談会で悪業の例としてくれたのが創価さん、黙々と宗派関係なく治療実績のある病院を紹介してくれたのがカトリックの知人だった。
— 手塚一佳 (@tezukakaz) 2017年1月3日
間違った方向に実践してはいけないと言いたい。
先生は「病院いけ」言います。
息子の急性骨髄性白血病で、「うちに入ればたちまち治る」と言い出して家まで押しかけて来たのが霊波之光さん、「前世の業だから来世では云々」と殺しにかかって仲間内の座談会で悪業の例としてくれたのが創価さん、黙々と宗派関係なく治療実績のある病院を紹介してくれたのがカトリックの知人だった。
— 手塚一佳 (@tezukakaz) 2017年1月3日
間違った方向に実践してはいけないと言いたい。
先生は「病院いけ」言います。
モチベーションには内的なものと外的なものがあって、内的なものは自分からやろうとする心で、外的なものはお金や名誉、義務などです。
外的なモチベーションには強制力がありますが、その副作用で今の日本には労働問題が山積しています。
これはまるで栄養ドリンクのようなもので、一時的にブーストはかかるけどそのあとキツくなります。
自分からできるようになること、これが一番自然、正常なことです。
先生の箴言「正常が頂上だ」
「努力した者が成功するとは限らないが、成功した者は全員努力している。」という考え方があります。
この話を聞くと「えー、努力しても報われるわけではないのか。」と思います。
確かに、部活ではみんな努力しましたが大きな大会でメダルを取れるのはほんの一握りだし、研究を何十年としている科学者がその成果を得られる確率もものすごく小さいと言います。
それだから「努力だけじゃダメ、運も必要だ。」という話が出てきます。
こうなると、運はどう掴むのかという話になります。それについて答えを持っている人はいません。
だからこそ、主をつかまなくてはなりません。努力を無駄にしないために。
歳をとってくると新しいことをしようというよりは、今まで培ってきたものを維持しようという考えに変わることを、実家にいると感じます。人もそうだし、会社や文化もそうです。年に一回初詣して忘れられるのって八百万(やおよろず)の神様的にはオッケーなのでしょうか。
こんにちは。昨日は山の日でした。学生にとってはもともと夏休みなのであまり関係ない休みですが、社会人にとっては貴重な祝日です。
かといって私は山に登るわけでもなく、電車の中でブログを書いています。
なぜ書くのかといえば、「書くことが好きだから」だと思います。史上初のエベレスト登頂を目指したジョージ・マロリーは、「なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか?」と取材された時「そこにエベレストがあるから(Because it’s there. )」と答えたといいますが、ブログもこうした内的な動機があって書いています。
何かをやる時、外的な動機、たとえばお金がもらえるとか、賞をもらえるとかいう動機は、瞬間は自分を動かしますが、持続しない燃料です。
もちろんそうした動機でも続ければ成長するし、そのことでお金が稼げるようになったり人から賞賛されるということはありますが、根本的な力ではないので、逆にもらえるお金が減ったとか、人から悪口を言われたりするとモチベーションが下がることになります。
つまり、他人次第で自分のやることが左右されるということです。
そういう外的環境に左右される動機ではなく、内的に燃え上がって持続する、つまり「好きだから」というのがとても大事ですね。
そういう意味では、2月から挑戦を始めた聖書通読を先日達成したのですが、これは「通読したら褒められるぞ」という思いがややあったのであまり良いことではありませんでした。
それでも、山の頂上からの景色が綺麗なように、聖書を通読することで6000年の歴史を俯瞰できたのは大きかったと思います。このチャレンジをする前、聖書を100読以上している方から「通読すると良いよ」と言われた時には「ははん、そんなのあるわけない」と思っていましたが今悟りました。
たくさんの感動があった聖書通読で、それをここに書けばこの記事を読む方にも聖書を読むモチベーションになるかと思うのですが、そういうことをするのは私はあまり好きではないので、あえてまったく感動しなかったエピソードを書きたいと思います。
それが何かというと、「バアル」と「アシラ」についてです。旧約聖書に偶像として登場する「バアル」と「アシラ」。
バアルもアシラもなんども聖書の中に登場し、神の民を惑わしては自分を信じるように引き込んでいく悪い奴らです。
バアルはその後進化して、「バアル・ゼブブ(ハエの王)」と呼ばれるようになります。新約聖書に出てくる表記では「ベルゼブル」ですね。
そのくらいキモいキャラなわけです。ハエの王様なんて、ああ嫌だ!
こんなかわいくないかも
イスラエル統一時代のサウルやダビデ王と敵対していた「ペリシテ人」は、バアルを神と崇める民族でした。
ペリシテ人は、イスラエル民族と数々の戦闘を重ねる中で、勝利をおさめるとバアルに栄光を帰していました。バアルはペリシテ人の心の拠り所だったのです。
私は聖書を読みながら、このバアルの「ハエの王」という呼称といい、イスラエル民族を苦戦させる強さといい、いったいどんな奴なんだと、疑問に思うようになりました。
バアルは偶像だから、もちろん像が作られているわけです。それが現代に発掘されているのかもしれない。
そこでググってみました。
出典:Wikipedia
…………
えっ?
なんか思ってたのと違う。
間違えたのかなと思い、もう一度検索しました。
出典:Wikipedia
えっ?
ぜんぜんハエっぽくないし、力が強そうでもないし。てか腕ほっそ!俺でも腕相撲で勝てるわ。片足前に出してるのは何の意味なの?こんなのにイスラエル民族が誘惑されてたとか、ありえないわー。
あ、そうだ。アシラはきっと違うのかもしれない。
アシラは豊穣の神。女性神だから、きっとその偶像もスタイルが良くて美人に作ってあって、それで多くの人が誘惑されたに違いない。
出典:アシラ(Asherah)
えっ…。
スタイルについての疑問もあるけど、そもそもこれは女性をかたちどった偶像なの?
女性のスタイルの良さは「出るところは出て、引っ込むところは引っ込む」ところにあると思ってたけど、このまっすぐなラインは美しいの?
これを拝むとか、いったい当時の人々はどういう考えをしていたのでしょう。
当時の人々には魅力的だったとしても、時代が進むとおかしなことに気づく、そういうことがあるのかもしれませんね。
聖書読みたくなった?
こんにちは、お久しぶりです。
気づけば更新をしなくなってから半年以上経ってました。
もう誰も読んでないのかもしれません。誰か読んでいるでしょうか。
宇宙の遥か彼方から地球に交信を試みるような気分です。
宇宙に取り残された人が、かすかな希望を持って日々の記録を残していくっていうSFがありますが、私もそのように記録を残したいと思います。
この半年間、私がなにをやっていたかといえば、ただ一つのことです。
その一つのことというのは、「スズメと仲良くなる」ということです。
この一つのことのために、私の精神は集中していました。
半年前、スズメたちは私の膝の上に乗ってくることがありました。靴の上に乗ってくることもありました。それは以前ブログに記録を残したとおりであります。
その時に申し上げていた私の目標は、スズメを取って食べるということです。
なぜなら、この宇宙では食料不足が深刻であり、地球、こと日本では取って食べることが制限されているスズメ肉でさえ、食べなければ生きていくことができないわけです。
そのため、スズメと仲良くなって油断させ、そして捕獲、と考えているわけですが、膝の上に乗ったスズメを、どう捕らえたらいいというのでしょう。彼らはとても臆病な生き物で、食べ物を食べている間でさえ周りをキョロキョロと見回して警戒しています。
そして少しでも怪しげなところがあると、すぐに飛んで行ってしまいます。私が貧乏ゆすりをするだけで、地震だと思って逃げてしまいます。
このままではスズメを捕らえるのは難しい。もっと仲良くなり、油断させなければジビエを味わうことはできない。
そのようなことを考え続けていた半年間でした。
そして、半年間の研究のすえ、ついにそのチャンスがやってきたのであります。
手乗りスズメになりました。
もう、捕獲したも同然でしょう。私がこの手のひらをギュッと握ってしまえば、彼の運命は尽きるのです。私が、彼の運命の支配者なのです。
しかし、問題が一つあります。調理に必要な電気やガスが近くにないということです。このことは、ここが屋外だからコンセントやガス栓がない、という単純な問題ではありません。ここは宇宙なのです。長い宇宙生活で電気もガスも使い果たしてしまったのです。
そのため、まずは宇宙をくまなく回りながらソーラーパネルの素材集めをし、発電ができるようにしなければなりません。
スズメのジビエを味わえるのは、もうしばらく時間がかかりそうです。