御子の計算 摂理の便り

今朝は過去の映像を見て、
「自分の時」についての
御言葉を教えていただきました。

「自分の時。
それは相手の時でもある。」
という話がありました。

新郎の時は、同時に新婦のときでもあるんですね。

どちらかでも準備ができていなければ、
結婚ができません。

神様は全能者だけど、
微弱な人間のせいで限界がある。
今週のこの御言葉を
具体的に理解することができる話でした。

今朝聞いたのは過去の御言葉なんですが、
今週の御言葉とリンクしていて、
補足するような役割をしているところが
すごいです。

先生は計算してやっているんでしょうか。

御子が計算しているんですかね。

私たちも、現在していることが
未来に役立つように、
御子に知恵をもらって
行っていきたいですね。

時について、
韓国や日本には四季があるので、
日本人は時について敏感な民族だと
思いますけど、
摂理ではそこをもっと
深堀りして学ぶことができます。

特に「自分の時」について
学べるのは他ではないでしょう。

一般的にも「モテ期」とか
「厄年」とかありますけど、
そういう全体的なものではないです。

もっと具体的に、
あなた個人にとっての時はいつなのか、
その時、自分は何をしたらいいのか、
どうしたらその時がわかるのか。

それが学べます。

摂理ホームページ
http://www.j-cgm.net/

出会いと対話
http://www.god21.net/

もう終わったことと、まだ終わっていないこと 摂理の便り

明け方の時間が終わりましたよ。

今週は、
「終わったことは終わることになる」
と仰いました。

もう終わったこと、
いろいろありますね。

既成の生活とか。

旧時代とか。

人によっては学生時代とか。

いろいろありますが、
最近、一つ、大きなことが
終わりました。

先生が仰ったことです。

それは、
「先生から条件を立てること」
です。

もう一度先生が
条件を立てようとするなら、
神様がもう一度先生を
産まれさせて、育てて、
何十年も練達しなければなりません。

それは神様の「順理の創造の法則」では
ありません。

これからは、
「地上から天を愛する」時です。

再創造の時です。

「まだ引き上げの期間が
終わった人は一人もいない。」

とも仰いました。

時をわかって、勤しんで作っていきましょうね。

「天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。」伝道の書3:1

明け方に起きるとココが違う 摂理の便り

今朝は、何時に起きましたか。

先生は、
「それぞれ起きる時間がある」
と仰いました。

先生の時間は1時ですね。

あなたの時間は何時でしょうか。

自分の時間に起きるのと、
そうでないのとでは雲泥の差があります。

何がそんなに差があるのか。

力です。

内面から湧いてくる力が違います。

言い方を変えれば、
健康状態が違います。

ここでいう健康とは、
「病気ではない」
ということではありません。

本当の健康とは、
「はつらつとしていること」
です。

この健康状態が、
起きる時間で大きく左右されます。

また別の言い方をするなら、
エンドルフィンの分泌量が
違います。

ダイドルフィンの分泌量が
違います。

そしてまた別の言い方をするなら、
主からもらうものが違います。

金の時間、銀の時間、銅の時間とも
仰いますね。

どうせなら金をもらいたいものです。

是非、明け方の文化が
開いているこの時に、
自分の時間を探してみてください。

目的を持って作る 摂理の便り

聖霊運動のトピックの1つは
「作りなさい」でした。

そのくだりを聞きなおしているとき、
「目的をもって作りなさい」
と仰ったんですね。

ある人から聞いた、
たとえ話をご紹介します。

アメリカとかでありそうな
お話です。

あなたはアメリカ好きですか?

それだったら、
このお話も好きでしょう。

あるところで、
2人の若者がレンガを
積んでいました。

2人になんでレンガを積んでいるのか
聞いてみると、

1人は「言われたからやってるんだ」
と言いました。

もう1人は、
「レンガを積んで家を作っているんだ」
と言いました。

同じようにレンガを積んでいた
2人でしたが、1年後、
どうなったかわかりますか?

「言われたからやっている」
と答えた若者は、ただただレンガを
うず高く積んでいました。

そして「家を作っている」
と答えた若者は、立派な家を建てて、
そこで暮らしていました。

この物語は、
目的を持つことの
大切さを教えてくれます。

あなたは2人の若者を
見てどう思いましたか?

さあ、あなたも「家を作っている」
と答えた若者のように、
目的を持っておこなっていきましょう。

1月1日から1月17日までの流れ 摂理の便り

悟ることが宝だと仰いました。

明け方は本当に悟ること
が多い時間です。

創造的な時間だと思います。

明け方に一つ考えが浮かんできたので
書いておきます。

年始、先生は
「愛するから御言葉を与える」
と仰いました。

そして1/17、聖霊集会で、
「与えたから作りなさい」
と仰いました。

「愛する。

だから御言葉を与える。

だから作りなさい。」

この17日間の
御言葉の大きな流れを
感じますね。

詳しくはこちら

明け方は創造的な時間です。

昼は作業の時間。

夜は片付ける時間。

以前先生はそう仰いました。

明け方、主にぴったりくっついて
宝を得て、それを昼に加工して
価値あるものを作る。

それを毎日行ったらどうなるでしょう。

大きなことができそうな
気がしませんか。

摂理 出会いと対話

ハレルヤ。

今朝は愛について
箴言を伝えていただきました。

今の時代の愛について
学びました。

箴言を聞きながら、
その後祈りながら
浮かんできたことがあったので、
さっそく記録します。

現代は愛の時代です。

現代とこれからの未来において、
人間にとっての最大の関心事は、
愛でしょう。

ほんの数十年前までは
そうではありませんでした。

戦争に勝つことが最優先だったし、
食べていくことが最優先でした。

それが戦争が終わって、
経済が急速に発展すると、
人は愛を求めるようになりました。

今ほど愛について開かれた時代もないでしょう。

愛し合うのが一番だって、
みんな感じていると思うんです。

じゃあその理想を成すために、
何をしたらいいんだって
考えた結果、ほとんどみんな、
異性の愛だって結論をだしているんです。

考えが他に浮かんでこないから、
異性の愛で理想が成せると思っているんです。

それで一生懸命頑張って、
今の時期ならゲレンデマジックとか
使いながら、愛を世界を築こうと
全力を尽くすわけです。

それで結局中途半端にしか成せなくて、
「世の中こんなもんだよ」っていうんです。

最近よく聞きます
「まあそんなもんだ」
って言葉。

僕もよく言っていました。

愛がいいのはわかる。
しかしどう扱えばいいのかわからない。

それが現代の課題です。

課題として認識すらしていません。

科学については精緻に
考える現代人ですが、
愛についてはとても
単純な判断をします。

愛の時代が始まったばかりで、
原始時代です。

まだまだ未開拓です。

本当の愛ってなんでしょうか。

愛はとても深い世界です。

科学よりももっと細かく、
広い世界です。

本当は科学と同様、
国家予算を割いてでも
研究しなければならない分野です。

人々が幸せになるために、です。

愛について、研究してみませんか。

摂理には答えがあります。

出会いと対話

「神は愛である」

この言葉の意味を
まじめに考えてみませんか。

あなたが幸せになるために。

あなたにしか気づけない答えを、
御言葉の中に発見するでしょう。

出会いと対話

明け方が重要な15の理由 摂理の便り

今週は先生が生きる道を
教えてくださいました。

いつも御言葉を通して、
生きる道を教えてくださることが
ありがたいですね。

正月に実家に戻って、
御言葉がなかったら
どうだったろうと
改めて考えてしまいました。

「考えが浮かんでこない。」

御言葉ではそう仰いました。

これって本当に怖いことなんですよ。

自ら考えが浮かばないと、
別の人の考えが簡単に入ってきて
しまうんですよね。

それがどれほど怖いことなのか、
あんまりわかっていないんです。

これはたとえるなら、
鍵のかからない
家のようです。

出入り自由。

親戚でも友人でも
強盗でも。

またはウィルスソフトのない
パソコンのようです。

無防備にあちこちの情報に
アクセスするから、へんな情報が
入ってきて、それがパソコンの一部に
なってしまうんです。

僕も御言葉が無ければ、
いろんな情報に振り回されたでしょう。

正直、御言葉を聞いている今でも、
耳元でべらべらしゃべられると
「うん、そうかもしれないな」
みたいな気持ちになることがあります。

あなたもそういう経験ないですか。

そんなときは!

明け方が重要なんですよね。

振り回されないために!!

明け方、主と対話の時間を持ちましょう。

御言葉を頭にびっしりつめて
一日をはじめましょう。

そうすると日中、不必要な情報が
入る余地がなくなります。

余計な話から身を守ることができます。

見分けることができます。

戦うことができます。

自分をしっかり保つことができます。

誘惑に流されて後で後悔する
ことがなくなります。

自分が本当にやりたいことを貫けるようになります。

人についていく人生ではなく、
主についていく人生を生きることができます。

人の命令に従う人生ではなく、
主の御言葉に従う人生に変わります。

人の言うことを聞く奴隷の生ではなく、
主に従う新婦の生になります。

自分という存在をしっかり持つことができます。

人に押し付けられて動くのではなく、
自ら動く能動的な生き方ができます。

主が考えを太陽のように輝かせてくださるから、
闇の考えはその中に入ってこられません。

明け方に祈れば、
その日に起こることを
思い浮かばせてくださいます。

よいことが起こりそうなら
わくわくしながら備えて、
悪いことが起こりそうなら
予め対策が練られますね。

運命を左右する明け方、頑張りましょう。

愛ってなんだろう 摂理の便り

今週から仕事がはじまりました。

9連休はあっというまに終わり、
また一年のはじまりです。

年始はみんなだるそうに
仕事をしています。

仕事をしながら5月のカレンダーを
見ている人もいました。

ゴールデンウィークを
どう過ごそうか
考えていたみたいですね。

仕事は相変わらず忙しいですが、
プログラミングに強い人が
ツールを作ってくれたので
とても効率がよくなりました。

今まで手作業でぽちぽち
やっていたのが、ボタン一発で
終わるようになりました。

こういうツールを見るたび、
人間ってほんとに労働に
向いていないなあと思います。

人間がどんなにあくせく
頑張っても、その仕事を代行する
優秀な機械を一度作ってしまえば、
無用な努力になります。

僕の働いている会社は
100%機械化を目指しているので、
何十年後かには僕の仕事はなくなります。

世の中の雇用が安定しないのは、
機械化、ウェブ化が原因っていう
側面もありますよね。

これからも人間の仕事は
機械とネットにどんどん奪われていくでしょう。

では人間の価値ってなんでしょうね。

何のために創られたのでしょう。

答えは、御言葉を学んでいればわかりますね。

CHRISTIAN GOSPEL MISSION

今日の水曜礼拝では、その「愛」について
教えていただきました。

愛というと異性の愛を考えますが、
御子の考えは違うと。

愛=異性の愛
っていう考えは近年のものですね。

昔、聖書が日本語訳されたばかりの
ころは、「愛」は「お大切に」
と訳されていたそうです。

「あなたの隣人を愛しなさい」

っていうと
「異性的に愛しなさいってことか」
とだけ考える人が多くても、

「あなたの隣人をお大切になさってください」

こう訳すとぜんぜん別の印象で
伝わってきますね。

愛っていう言葉に対しても
私たちの脳が凝り固まっているとしたら、
御言葉で正していきたいですね。

ちなみに、昔の聖書では
「洗礼」は「コリをとる」
と訳されていたそうです。

「洗礼を受けた」
といえば厳粛で難しいイメージですが、
「コリをほぐした」
というとぐっとわかりやすくなりますね。

えーそんなんでいいのって
拍子抜けするくらい身近に
なりますね。

しかも先生が御言葉で
コリについて何度も伝えられているから
摂理人にはお馴染みの表現です。

聖書は一見すると権威性の強い
難しい書物に思えがちですが、
2000年前にイエス様が
伝えられた時にはもっと
やわらかだったんじゃないでしょうかね。

先生が伝えられる御言葉が
とてもわかりやすく身近であることを
考えても、そうなんじゃないかな
って思います。

キリスト教福音宣教会HP

2014年はどんな年になるか 摂理の便り

ハレルヤ!

一年初めの挨拶は
やっぱり「ハレルヤ」
ですね。

今年は午年。

去年巳年は
「お金に恵まれる年」
といわれる通り、
御子愛の家の竣工や、
土地購入などの出来事が
ありましたね。

世間的にも
アベノミクス、黒田バズーカ発動で
株価は50%近くも上昇しました。

では今年はどんな年になるでしょう。

午年の「午」は
「正午」の「午」と同じです。

つまりちょうど真ん中、
折り返し、ということですね。

植物でいうと、
成長期を過ぎて
だんだん熟していく時、
ということになります。

送旧迎新の御言葉でも、
チョウンさん、
「2014年はもう少し老練に」
と仰っていましたね。

時にかなって行われる神様です。

私たちも御言葉にしたがって
行っていきたいですね。

もういつまでも若さ爆発させている
時ではありませんね。

ちなみに、去年のはじめ、
チョウンさんは
「今年私は農夫になります」
と仰っていました。

成長著しい一年になることを
予めわかって仰ったことだと
時が過ぎてから気づきましたが、
過ぎたことは過ぎたこととして、
改めてこれからの一年を考えて、
御言葉に集中していきましょう。

御言葉で一年を振り返ることができる 摂理の便り

今年最後の御言葉は、
「行ったとおりに報いた」
でした。

毎年、年末には一年を締めくくる
御言葉が宣布されますね。

この御言葉を聞くことで、一年を振り返ることができ、
あれができた、これができなかった。
そう考えて、気持ち新たに新年を迎えることができます。

しかし、御言葉がないと、
最近は一年の振り返りが難しい
世の中になってきましたね。

クリスマスにわーって遊んで、
クリスマス明けに力尽きて、
でも「もう少しで年末休みだ」
って頑張って休みに滑り込んで、
ずっとやってるお笑い番組を見て、
年始から福袋買ったりして、
気づいたら仕事始め。
そしてまた長い一年が始まります。

世の中が騒がしくなってきて、
日本旧来の良い習慣がなくなりつつありますが、
私たちは御言葉で秩序を保てることが
ありがたいですね。

一年間、どうでしたか?

特に年末、100%主を愛せましたか。

清く過ごせましたか。

それとも遊んじゃいましたか。

2013年は、
迫害も少なく、
御言葉も続けて送ってくださり、
ここ数年で一番過ごしやすい年でした。

でも、まだはじまったばかりです。

道半ばです。

ここで満足したり、何かにおぼれたら、
ここにとどまることになります。

変化して抜け出すことが今すべきことです。

引き上げが目的です。

年の移り変わりとともに頭も切り替えて、
来年主とともに走っていきましょう。