摂理の今日の話より。
「時間を一生懸命使った人は、時間がいつも生きてくるし、無駄使いをする人は時間が死んでなくなってしまう。」
私たちは「1日24時間」という時間の考え方で生活していますが、どんな時間の使い方をしたかで、その時間が後々まで残る生きた時間にもなり、何したか思い出せない死んだ時間にもなるんですね。
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摂理 今日の一言集
「自信がないのは、積極的にしないからだ。」
今日、摂理の兄弟を通して教えてもらった先生の言葉です。
他にもいろいろ教えてもらいました。
「条件が整っていなくても、チャンスはその時その瞬間だ。人々はよくあれこれと条件が整ってからはじめて目的を成そうとするから、失敗する。」
これも先生の話。
チャンスは一瞬です。
「仕事があるときにコミュニケーションがとれる。暇な時ほど喧嘩する。」
これは兄弟の体験談。
同じことをしている人とは気持ちが通じあいます。
「やるリスクより、やらないリスクの方が大きい。」
これはドラッガーの言葉。失敗してもノウハウが残る。それを活かしてどんどんやろうと教わりました。
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摂理、先生の一言
今、これまでに聞いた先生の話を読み返していて、
「心がどれだけ成長しているのかを見分けるのは、どれだけの人と話をし、どれだけの人と心を通わせることが出来るかだ。」
という一節に目が止まりました。
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摂理で教わること
摂理で聞いた話のなかで、さっき思い出したのが、
「賛美を歌うと楽しい。賛美を歌うのは、自分を落胆させないためでもある。」
という話です。
音楽を聞いたり歌ったりするのは、気持ちの面でプラスになります。
中でも賛美は、肯定的な歌だし、その歌詞が自分と関係しているので、ますますプラスアルファです。
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摂理での教訓
摂理では、先生がよく、
「心と思いと命を尽くしなさい」
と言います。
一生懸命やったときに、神様を感じられる、環境が変わるんだ、と。
この三連休、だらだらしそうなときに思い出した摂理の話でした。
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摂理の夕べvol.2
摂理の今日の話より。
「何かを選ぶとき、どちらを選ぶとしても長所短所があります。
例えば服を買いに行くとします。
こちらの服を買ったらフォーマルな場ではいいが、カジュアルな場面では使えない。
あちらのはカジュアルだがフォーマルに着られない。
かといって2着買うお金はない。
2つとも買えないなら、何を中心にするかで選ぶべきです。
自分が中心にしていることがあります。
何を必要としているのか、判断することが智恵です。」
冬将軍の到来で、ケチな僕もいよいよコートを買わなければいけなくなりました。
仕事している時間が多いから、コート選びも仕事中心か。
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摂理人の思ったこと
まず自分が豊かにならないといけない、今日はそう思っていました。
摂理では、先生に「まず個人の天国。次に家庭、次に民族、世界に天国がつくられる」
と教わっています。
いきなり神様が現れてドカンと天国がなされるのではなく、まず一人が救われて、その人に誰かが救われて、その誰かにまた誰かが救われて。そのようにして天国が出来るのだと聞いています。
シンプルかつ地味ですが、でも現実味があります。
まずは自分、自分の心が霊が豊かになるように。
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摂理ライフの早朝vol.49
摂理の今日の話より。
「体が丈夫でないといけません。そうした時に強い精神になります。
栄養のあるものを食べて運動しないと。
いくらいい精神があっても、体が追いつかないとできません。
年を取ったらできなくなる。だから年を取る前にやっていかないといけません。」
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摂理人、聖書を読んで感動
摂理
今日、聖書を読んでいて感動したところ
イザヤ書2:4「彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。」
戦争をしている国は貧しいです。軍事費を自国の発展に充てれば豊かになるように、争いに使う金、エネルギーを自分の成長に充てれば、それだけで豊かになれます。
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救いの御言葉
「言葉の力」が注目されるずっと前から、キリスト教は言葉の重要性を説いてきました。
イエス様は2000年も前から、言葉一本で生きてきました。
今の日本では、お腹を満足させるのは簡単ですが、心を満足させるのは難しいものです。
心を満足させるのは、言葉です。
お腹が減って死にそうな時にご飯を食べたら救われます。
心が空っぽなときには、適切な言葉に救われます。
「救いの御言葉」と言われるのは、それで心がいっぱいになるからです。
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