今日の話より。
「救いの手が毎日差しのべられなければいけません。研究をする人は毎日研究しないといけません。サッカーをする人も続けて試合をしないと、試合の感覚がなくなるのです。」
何をするにも続けなさいという話です。
救いの手が毎日差しのべられなければいけないとおっしゃって、先生は毎日語ってくれます。
今日の話より。
「救いの手が毎日差しのべられなければいけません。研究をする人は毎日研究しないといけません。サッカーをする人も続けて試合をしないと、試合の感覚がなくなるのです。」
何をするにも続けなさいという話です。
救いの手が毎日差しのべられなければいけないとおっしゃって、先生は毎日語ってくれます。
今日の話より。
「人々は世の中の愛、名誉、学問、宗教に溺れて助かろうともがいています。溺れるから水が怖くなります。異性に溺れて苦労した人は異性が怖い、物質に溺れた人は物質が怖い、宗教に溺れた人は宗教が怖いと言って接しようとしないのです。泳げる人は溺れないで楽しく泳ぎます。人生に溺れないように学びなさい。溺れるなとは、集中しなさいということです。」
世の荒波をスイスイ泳ぎ回りたいものです。
今日の話より。
「空気は見えないけど、毎日使っています。1分間息が出来ないと考えてみてください。神様はいつも働いているけど、実感できていません。」
当たり前だからこそ、ないがしろにしがちです。しかし、空気を証明した科学者たちが偉大であるように、当たり前のことこそ明らかにするべきなのだと思います。
今日の話より。
「自分を活かすことが出来たら、他の人を活かすことも出来る」
まずは自分を大事にしなければいけません。
自分を活かせる人は人も活かし、自分をだめだと思う人は人のこともだめだと思ってしまうものです。
今日の話は、
「陸上で、同じところを走っていても、ある人はトラックを10周まわっていて、ある人はスタートしたばかりです。」
人は、ぱっと見わからないものです。道行く人の中にも偉大な人がいる、ことがあるのかも。
今日の話は、
「イエス様は病気の人を治しました。律法の人(ユダヤ教の人)は、『罪によって病気になっているのだ』と言いましたが、問いただしていたら助けたくならないのです。とりあえず助けてから、どうして病気になったのかを考えよう。」
無償の愛です。
今週の話は、
マタイ13:45-50
天国は、よい真珠を探している商人のようなものである。高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。
「どうしてそう例えたかというと、イエス様が真珠を探している商人のようだったからです。義を求めている人を探していました。皆さん願い事はありますか。宝を見つけるには探し回らないといけません。見つけたなら本物かを確認し、それを買うには自分の持ち物を売り払わないといけません。」
聖書には現実的な話も多く書かれています。
何かを手に入れる時、まずは自分の持ち物を投資しないといけません。時間でも技術でも。買い物でもお金を払うから欲しいものを手に入れる事が出来ます。
まずは自分からですね。
今日の話は、
「死ぬはずの人が生きることが一番大きいことではないですか。皆さんも、知らないだけで死ぬ目にあったことがたくさんあります。私は、神様が共にして命が助かったことが多すぎます。みんな自分で助かったようでも、神様は人を通して助け、万物を通して助けて下さいます。」
今日の話は、
「誰も見ていないからと怠けるのは、神様を侮ることになります」
天国はあなたのただ中にあるのだ、という聖句もありますが、その通り神様はいつもそばにいて見ているんですね。
今日の話は、
「神様を敬う人が理想をなしていきます。政治、科学では出来ません。」
僕はちゃんと神様を敬えている、といいが。